児玉語録10月号『東京2020パラリンピックでの感動』
2021/10/08
2021.10.1
『 東京2020パラリンピックでの感動 』
9月5日、2020東京パラリンピックが閉会した。
今回のパラリンピックでは、オリンピックに勝るとも劣らない、感動の連続でした。
多くの選手から感動を頂きましたが、今回は3人の選手に絞って書かせて頂きます。
◆競泳 成田真由美さん
成田さんは中学生の時に突然脊髄炎を発症し、入退院を繰り返した後、車椅子生活になった。
その後 23歳の時、障害者仲間から誘われて、水泳を始めたが、追突事故に遭い、 脊髄を損傷して5ヶ月の入院。 体温調節ができなくなり、左手に障害が残った。
水泳仲間が励まし続けてくれて、プールに戻って4ヶ月後、プレパラリンピックで思わぬ 好成績を出し、一年後の1996年 アトランタパラリンピックに初出場した。
金メダル2個を含む計5個のメダルを獲得するという素晴らしい結果を残した。
4年後のシドニーで金6個、アテネで金7個、北京ではクラス分けの問題があり、 メダルなしでしたが、各大会までの4年間は常に病気や怪我などに苦しみ抜き、 入院や手術を何度も繰り返していた。 特に2000年シドニーの後には大病を患い、 数ヶ月の入院を余儀なくされた。 アテネから北京の間にも、3度の手術をしている。
常に順調ではない4年間の中で、医者から許可が出ればすぐにプールに戻って、 厳しい訓練に明け暮れていた。
体温調節が困難なために、練習中に身体に冷水をかけて体温を下げたり、 動かない足にバケツを結び付けて水の抵抗を強め、左手には障害が残ったにも拘らず、 過酷なパドル練習に耐えてきた。
私はアトランタパラリンピックの後、縁があってお会いしたのがきっかけで知り合い、 当社の全体会議で講演をして頂いたり、今でも親しくお付き合いをさせて頂いている。
今回6回目のパラリンピック。 何回かメールのやりとりをしました。
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児玉さん、成田です。
おはようございます。
お忙しい中メールありがとうございました。
毎日元気に練習を積んでおります。
開会式は50歳、誕生日を迎えて51歳で試合です。
とにかく悔いのないよう戦ってきます。
応援よろしくお願いいたします。
成田真由美
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真由美さん
本当にご苦労様でした。
もう一生懸命、心の底から応援していました。
とてもとても51歳とは考えられない力強い泳ぎで感動しました。
私もタイムを聞いて驚きましたが、その後のニュースで、
アテネで金を取った時よりも早いタイムだったとのこと。
さすがに真由美さん、すごいですね!!
少し落ち着いたら、またぜひお会いしましょう。
本当に大きな感動をありがとうございました。
児玉圭司 拝
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おはようございます。
今回も応援、本当にありがとうございました。
無事に終えることができて安堵しています。
挑戦することができて幸せでした。
たくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
成田真由美
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と、以上のメールのやりとりをいたしました。
競泳チームのお母さんとして「水の女王」としての覚悟。
このコロナ禍でも「挑戦しなければ後悔する」、「挑戦できることが目の前にあるんだったら挑戦しないで終わる方が後悔すると思った」と最後は清々しい笑顔でした。
◆競泳 山田美幸さん
14歳の中学生。 生まれた時から両腕がなく、両足にも障害があり足の長さが異なる。
小児喘息を治すために水泳を始め、リオのテレビをみて本格的にパラリンピックを目指した。
自由形から背泳ぎに種目を変えて、左膝の外側と右足の裏側で水を蹴り、
両肩を揺らして進む泳法で、体幹を鍛えてバランスをとっている。本当に凄いことです。
今年3月の日本選手権で、50メートルと100メートルで日本新記録を樹立し優勝した。
いよいよパラリンピック決勝。 プールに登場するやいなや、大きな拍手が巻き起こった。
両腕のない山田さんは、左右の長さの違う足を上げて声援に応えていた。
車椅子から降り、よちよちよちよち歩いてプールに入る。140センチ、33キロの小さな身体。
東京パラリンピック代表が決まる直前、最も信頼していた父が亡くなった。
自分を支え続けてくれた父親がなくなり、言葉には言い表せない思いであったでしょう。
しかし山田さんはプールに戻った。 「水泳が好きなんです」
左右のキックの違いで、斜めに泳いでしまいやすいところを、頭を傾けてまっすぐに 進めるように工夫し、そして両肩を激しく回して水流を作って推進力に変えていく。
やってみればわかるが左右の足の動きを変えて泳ぐだけでも至難の業です。
それを山田さんは猛練習によって自分の技とした。凄いことです。
「プールに入ると自分の世界になります。それが気持ちいいんです」
「緊張よりワクワクの方が大きい」
そう言って彼女は自分の世界に入り、足を使い全身を使い、どんどん泳いで、
頭を壁にゴツンとぶつけてゴールした。痛いことも忘れているのだろう。
50メートル 1分6秒47 解説者も驚いていた。自己ベストでの好タイムで銀メダル獲得。
山田さんはプールから上がると、プールに向かってお辞儀をした。
「私を泳がせてくれたプールに感謝しました」
山田さんは競泳チームのお母さんと言われている日本パラリンピックの水の女王、
成田真由美さんから手紙をもらった。その手紙には「楽しんでね」と書いてあった。
決勝の日の朝も、その手紙を読んだ山田さんは「力が湧きました」と言う。
前半から飛ばしていく山田さん。スタートから全力で泳いだが、終盤、腕が使える シンガポールのイップ選手に抜かれ、イップは手でタッチ。山田さんは頭でゴツン!!
「気持ちよく泳げました。アドレナリンがドバドバ出ちゃって」そう言って周囲を笑わせた。
屈託のない明るい笑顔は晴れやかに輝いて我々を感動させてくれた。
山田選手は「将来は外交官を目指したい」と言う。
「パリ大会には出たいけど、やはり私は進学がしたいので…いま理想としているのは 両立ができて、パリにも出て、進学も出来たらなと思っています」
一つ一つの受け答えからもにじみ出る人柄で我々を魅了してくれたのである。
◆卓球 イブラヒム・ハマトさん(48歳 ・ エジプト)
次に卓球のイブラヒム・ハマト選手。10歳の時、電車から落ちて両腕の肘から先を失い、一年程「哀れみの目を向けられたくない」と、家の中にこもり続けたが、その後スポーツを勧められていろいろやったあと、 13歳の時に卓球に取り組むようになった。
ラケットを口にくわえて、足全体を大きく振り上げ、足の指でつかんだボールを上に トスしてサーブを出す。そして口にくわえたラケットで、ボールを相手コートに打ち込む。
その後も首と体を左右に大きく振りながらラリーを続ける。
サーブも変化させるし、レシーブも強烈に決めることもあり、私にとっては驚きの連続だった。
人間というのは本当に無限の可能性があるんだな…とつくづく感じさせていただいた。
2014年の世界選手権大会でハマト選手とエキシビジョンマッチを行った水谷隼選手は、
「とにかく、衝撃でした。今まで足が不自由で車いすとか、腕が片方なくて1本の手で やっている選手はいましたけど、両腕が使えなくてラケットを口でくわえてやるという 発想自体が考えられませんでした。卓球は手を使ってやるものなのに、なぜ他の スポーツでなくて、口にくわえてまで卓球を選んでやられるようになったのか、 その発想が衝撃的で凄いことだと思いました。」 と、述懐していました。
パラリンピックだからこそ、ハマト選手のプレーを見ることができた。
日本人はもちろん世界中の人々に感動を与えたのだと思う。
障害があるから諦めるのではなく、障害があるからこそできることを工夫してベストを尽くす。
そうしたときに、その人の障害は障害ではなく、特別な個性となって光りだすのです。
人は自分を不幸と思ったら不幸になる。 幸せと思えば幸せになれる。
今回のパラリンピックで改めてそのことを心の底から教えていただいた。
当時の映像を思い出し、再び感動が蘇り、涙しつつ今回この児玉語録書かせていただいた。
(本條 強 『PRESIDENT Online 2021/09/05』 参考)
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