児玉語録3月号「まず動く、そこから道はひらける」
2019/03/02
『まず動く、そこから道はひらける』
私は、スヴェンソンの社長を譲った後、第三の人生を 世のため、人のために、
ご恩返しをしたい・・・と思い、家内と相談の結果、これから世界の中心はアジアになるだろうから、アセアンの中で最も教育が遅れていて、尚且つ親日国であり、仏教国である ラオスに小学校と卓球会館を建設して寄贈しました。
そのような経緯があって、コシノジュンコさんを始め、各分野で活躍されている方々の ご賛同を得て、一般財団法人KODAMA国際教育財団を設立しました。
ちょうどその頃、人間学を学ぶ月刊誌 『 致知 』の2017年5月号で、
「まず動く、そこから道はひらける」という記事を読んで、感動と勇気を頂き、
また大きな刺激を受けました。
筋ジストロフィーという難病と闘いながら、障害者の就労支援などを目的に、
NPO法人を設立した 櫻井 理さん。
櫻井さんは6歳のときに発病され、検査の結果、両親は医師から、「息子さんは20歳までしか生きられない」と告げられます。とてもショックを受けたが、本人には話さなかった。
そこから病気と向き合う生活が始まり、小学4年生の時から車椅子を使うようになった。
高校時代までは、まだ車椅子で授業を聴ながらノートを取れる状態だったが、だんだんそれも難しくなってきた。
19歳の時には、呼吸困難で意識不明となったが、幸い処置が早く助かった。
それからは人工呼吸器が手放せなくなった。
それでもなんとか自立して、生活の糧を得ていきたいという気持ちだけは人一倍強くて、
「櫻井君はパソコンが得意なんだからパソコンを使って何か仕事をしたら」という 病院スタッフの言葉を励みに、院内に印刷サークルを立ち上げた。
その当時は、まだ指でキーボードが打てたのですが、今は僕の体の中で動くのは、 足の指先だけになったので、寝たままの状態で特殊なマウスを両足で挟んで、親指で スイッチを押し、後は音声による変換機能を使いながら文章やデザインを作成しています。半日くらいは平気です。他人からは、「よく足がつらないですね?」と言われます。
28歳の時に、24時間人工呼吸器が必要になった。
気管に詰まった痰が炎症を起こすことが原因で、熱が頻繁に出るために、やりたいことが出来ず、気持ちの晴れない日々が4年ほど続いたが、ある時 自力で痰を出し切るコツをマスターし、高熱がピタッと出なくなった。劇的な体調改善により、福祉関係の資格を 取得したり、さらに学ぶことで人の役に立ちたいと思うようになる。
人生で一番のピンチは、東日本大震災。大津波警報が出てギリギリ非難出来たが、 停電が続いているため、呼吸器を動かす内蔵バッテリーに車のシガーソケット、
外部バッテリーなどを駆使し、電気を供給した。 しかし3日後、外部電源を供給する装置が
故障し、とうとう呼吸器が完全に停止してしまう。
停電が解除されたエリアに車で移動しながら、母親が手動で空気を送り込む、 救急蘇生バッグで呼吸を繋いでくれ、一命を取りとめた。
それをきっかけに「自分には何ができるだろうか」と考え、筋ジストロフィーの患者団体や、震災から5年後のNPO法人の立ち上げにつながっている。
「足の指しか動かせない僕でも出来る事があるんだから、他の障碍者に出来ないはずはない」と思っている。
困難に直面しても前に進む、行動力と思いの強さの原動力は、
24時間の人工呼吸器装着で、熱・痰に、とてつもなく苦しんだ時期を乗り越えてから。
何かが出来る喜びがそれまで以上に大きくなった。
何でもやってみたいという思いに突き動かされるようになって、それが前向きな姿勢に つながっている。人前で講演する時も、“できる喜びが緊張感を凌駕している”といった感じです。と話す。
常に死と隣り合わせの状態にあるから、死ぬのが怖いという感覚は全然なく、
「命ある限り、精一杯生きて行こう」と自分に言い聞かせている。将来どうなるかがわかった上で仕事をさせていただいているから、全力で行く。
自分で限界を設定したらそれで終わりだから。
自分の原点になっているのが、「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」という、小学校の時の担任の先生の言葉です。
“先ずは行動をする事”でいろいろな人に出会い、助けられてきた。
人間は生きているといろいろなピンチに遭遇しますが、そういう時は逃げるのではなく、
自分で行動を起こして、解決策を考えて立ち向かう。それが全てのスタートで、
それを習慣づけていくことで道が開ける。
私自身がそうやって道を拓いてきたのだから・・・ と櫻井さんは言っている。
「 而今 」 という禅の言葉がある。
“ 人生には今というこの時しかない 一瞬一瞬が勝負の時という自覚を持って生きる ”
という教えである。
「その時」は突然くるのではない。 “いまがその時”、“その時がいま” なのである。
この自覚を持って毎日を務め切る。
どこに投げ出されても、ダルマは転がっていく。
そして踏み止まったところですっくと立ち上がる。
人もそうありたい。
どんなところに投げ出されても、今やっていることに行き詰まっても、
止まったところで直ぐ立ち上がれる人になりたい。
そのためには重心が重く、高い志と豊かな魂を持った人にならねばならない。
私はこれからもまだまだ勉強し、努力して人間力を高めていきたいと思った。
この 『兒玉語録』 に取り上げさせて頂いて、
また改めて、櫻井理さんに多くのことを教わり、感謝の気持ちでいっぱいです。
児玉圭司名誉総監督
昭和35年~45年
明治大学体育会卓球部監督
昭和45年~令和2年
明治大学体育会卓球部総監督
令和3年~現在
明治大学体育会卓球部名誉総監督
(株)スヴェンソン 代表取締役会長
日本学生卓球連盟 名誉会長
明治大学駿台体育会 名誉会長
- 昭和31年
- 世界選手権シングルスベスト16
- 昭和40年
- 第28回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和48年
- 第32回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和50年
- 第33回世界卓球選手権 日本代表総監督兼監督