児玉語録3月号『本気になればやれないことはない』を掲載
2017/03/01
『本気になればやれないことはない』
(真のゲームズマンシップ)
卓球の選手の中には、いいフォームをして、いい球を打っていれば、
一流になれると思っている人がいる。
確かに、技術がどんどん進んで上達していくのはいいことです。
でもそれが勝利に結びつくとは限らない。
技術の進歩は、勝利への大きな要素には違いないが、
本当に勝つためには、それ以上にもっと学ぶことが多い。
心・技・体とあるが、その中で「心」を鍛えることが最も重要だと、私は常に力説している。
それ以外の要素として、勝負には、相手があるのだから、
その相手との関係をいかに有利に持っていくかが大切なことである。
心・技・体を鍛えるのは、自分自身の中で育てる内向的なことだが、
対人関係は、外向的なことであり、この両輪が揃って、はじめて真の強さが発揮できるのだ。
この競争相手との関係でよく使われるものに、ゲームズマンシップという言葉がある。
辞書を引いてみると、「かけひき」などとある。
別のものには、「勝つためには、いかがわしい方法も辞さないやりくち」
或いは、「ルールに触れない範囲でグレーゾーンを攻めてでも勝負する」という意味もあり、
いずれにしても、かなりあくどいイメージを含むニュアンスである。
勝負は対人関係である以上、相手の精神状態から、体調までを理解する必要がある。
そして、弱点があれば、そこを徹底的に突き、強い点があればうまく受け流すなど、
試合の流れが読めてくる。
ここで一発、最も得意なサービスを出して、3球目を思い切ってスマッシュすれば、
相手の心理は壊滅するだろう━などと、山場が読めるようになる。
そのときこそ、今まで培ってきた技術がものを言うのだ。
真のゲームズマンシップとは、相手を理解することから出発して、
全人格的な競争技術であり、正々堂々として、いかがわしいものであるはずがない。
一口に言えば、人間の心の中に、もう少し踏み込めということである。
心は大切である。 心は体の主であり、その人の行動を支配する。
だから、同じ勝負を争うのなら、相手の心、全人格を知って戦ったほうが、
有利になるに決まっている。
例えば、あの選手は最後の大事な場面では、こういう心理状態になって、
必ずこういう攻め方をしてくる、或いは、必ず慎重に対処してくるなどと、
相手の心に踏み込んで勝負をかけていく。
真のゲームズマンシップを理解することで、勝利に近づく努力をしてもらいたいと思う。
人間本気になればやれないことはない。
本気になるということは、性根がすわるということ、
性根がすわるのは、土壇場に立たされ絶体絶命になったとき、
そこから、「何くそ!」と奮起したときに生まれる。
そこから奮起した人間は強い。
やるしかないと自覚しているから、ただ一筋に努力するという生活が始まる。
そこから思いがけないアイディアが沸いて、更なる飛躍が可能になり、
新境地が拓けてくるのである。
不動の自信とは、相手と、場所と、時が変わっても、
変わらぬ自信で、成功を持続させてくれる。
自分のできることを増やしながら、自信を身につけていくことが大切です。
私の高校(都立城南高校)の先輩で、バレーボールの元男子監督の松平康隆氏は、
1972年に、「負けてたまるか!」という本を書いた。
その中で彼は、「私は、オリンピックの舞台で銀メダルと銅メダルは取った。
もう銀も、銅もいらない。
今から10年前には、世界のクズと言われた日本男子バレーの、今年は勝負の年だ。
8月のミュンヘンオリンピックでは、金をどうしても獲りたい。
しかし、勝つことも大切だが、その前にもう一つ、
勝利を我がことのように喜んでくれる人を、一人でも多く持つことだ。
そのために、私はこの本を書いた。」と、言っている。
バレーボール大会で、観衆の数よりも選手の数が多い時代。
たとえ全国制覇しても、新聞の片隅にも一行も載らなかった時代。
いくら口を酸っぱくして選手を激励しても、この時代には選手は本気になりにくい。
これが世の中というものである。
マイナースポーツからメジャースポーツへの念願。
そこからすべてが出発している。
(真のゲームズマンシップ)
卓球の選手の中には、いいフォームをして、いい球を打っていれば、
一流になれると思っている人がいる。
確かに、技術がどんどん進んで上達していくのはいいことです。
でもそれが勝利に結びつくとは限らない。
技術の進歩は、勝利への大きな要素には違いないが、
本当に勝つためには、それ以上にもっと学ぶことが多い。
心・技・体とあるが、その中で「心」を鍛えることが最も重要だと、私は常に力説している。
それ以外の要素として、勝負には、相手があるのだから、
その相手との関係をいかに有利に持っていくかが大切なことである。
心・技・体を鍛えるのは、自分自身の中で育てる内向的なことだが、
対人関係は、外向的なことであり、この両輪が揃って、はじめて真の強さが発揮できるのだ。
この競争相手との関係でよく使われるものに、ゲームズマンシップという言葉がある。
辞書を引いてみると、「かけひき」などとある。
別のものには、「勝つためには、いかがわしい方法も辞さないやりくち」
或いは、「ルールに触れない範囲でグレーゾーンを攻めてでも勝負する」という意味もあり、
いずれにしても、かなりあくどいイメージを含むニュアンスである。
勝負は対人関係である以上、相手の精神状態から、体調までを理解する必要がある。
そして、弱点があれば、そこを徹底的に突き、強い点があればうまく受け流すなど、
試合の流れが読めてくる。
ここで一発、最も得意なサービスを出して、3球目を思い切ってスマッシュすれば、
相手の心理は壊滅するだろう━などと、山場が読めるようになる。
そのときこそ、今まで培ってきた技術がものを言うのだ。
真のゲームズマンシップとは、相手を理解することから出発して、
全人格的な競争技術であり、正々堂々として、いかがわしいものであるはずがない。
一口に言えば、人間の心の中に、もう少し踏み込めということである。
心は大切である。 心は体の主であり、その人の行動を支配する。
だから、同じ勝負を争うのなら、相手の心、全人格を知って戦ったほうが、
有利になるに決まっている。
例えば、あの選手は最後の大事な場面では、こういう心理状態になって、
必ずこういう攻め方をしてくる、或いは、必ず慎重に対処してくるなどと、
相手の心に踏み込んで勝負をかけていく。
真のゲームズマンシップを理解することで、勝利に近づく努力をしてもらいたいと思う。
人間本気になればやれないことはない。
本気になるということは、性根がすわるということ、
性根がすわるのは、土壇場に立たされ絶体絶命になったとき、
そこから、「何くそ!」と奮起したときに生まれる。
そこから奮起した人間は強い。
やるしかないと自覚しているから、ただ一筋に努力するという生活が始まる。
そこから思いがけないアイディアが沸いて、更なる飛躍が可能になり、
新境地が拓けてくるのである。
不動の自信とは、相手と、場所と、時が変わっても、
変わらぬ自信で、成功を持続させてくれる。
自分のできることを増やしながら、自信を身につけていくことが大切です。
私の高校(都立城南高校)の先輩で、バレーボールの元男子監督の松平康隆氏は、
1972年に、「負けてたまるか!」という本を書いた。
その中で彼は、「私は、オリンピックの舞台で銀メダルと銅メダルは取った。
もう銀も、銅もいらない。
今から10年前には、世界のクズと言われた日本男子バレーの、今年は勝負の年だ。
8月のミュンヘンオリンピックでは、金をどうしても獲りたい。
しかし、勝つことも大切だが、その前にもう一つ、
勝利を我がことのように喜んでくれる人を、一人でも多く持つことだ。
そのために、私はこの本を書いた。」と、言っている。
バレーボール大会で、観衆の数よりも選手の数が多い時代。
たとえ全国制覇しても、新聞の片隅にも一行も載らなかった時代。
いくら口を酸っぱくして選手を激励しても、この時代には選手は本気になりにくい。
これが世の中というものである。
マイナースポーツからメジャースポーツへの念願。
そこからすべてが出発している。
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児玉圭司名誉総監督
昭和35年~45年
明治大学体育会卓球部監督
昭和45年~令和2年
明治大学体育会卓球部総監督
令和3年~現在
明治大学体育会卓球部名誉総監督
(株)スヴェンソン 代表取締役会長
日本学生卓球連盟 名誉会長
明治大学駿台体育会 名誉会長
- 昭和31年
- 世界選手権シングルスベスト16
- 昭和40年
- 第28回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和48年
- 第32回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和50年
- 第33回世界卓球選手権 日本代表総監督兼監督