児玉語録1月号「平成最後の年 運 を掴もう」
2019/01/05
『平成最後の年“運”を掴もう』
今年は「平成最後のお正月」。最近このキャッチコピーをよく見聞きします。
特に江戸時代以降、西暦と併用して時代を区切る用語として用いられてきた元号ですが、「○○最後の~」という使われ方がするのは、日本史上初めてだと言われています。
何故ならば、元号が変わるのは日本の天皇陛下がご崩御され、皇位が継承された場合によるもので、今回のように退位されることがわかっているのも初めてのことだからです。
私にとっては、以前世界卓球選手権大会で、両陛下のご来臨を賜り、美智子皇后のお隣で、ご説明役を仰せつかった関係もあり、一抹の寂しさと、特別に感慨深いものがあります。
日本は昔から、武道、芸道、商道というように、自分の選んだ“業”を“道”と名付けました。
道とは、自己の精神を高める道です。
どんなことでも一生懸命、精神を込めてやるということが道につながるということです。
道という文化を作ったのは、世界に日本しかありません。
我々が選んだ“業”、卓球道そのものが自分の精神を向上させる、真心を磨く道です。
その道に努力していると、知恵もどんどん湧いてくるし、心・技・体 が進化していきます。
我々は昔から、道という文化を受け継いでいるのです。
また、「運が良い」というのは、道を極める上でも大事なことです。
私の知人で、“人生というのは 「運」と「縁」の二つに尽きる” とまで言う人がいます。
運とは天から授かるもので、縁は自分から作るものだ。・・・と。
世の中には、運に恵まれた人と、なんとなく運に見放された感じの人がいます。
そして、それは学歴、家柄、能力などに関係がないですね。
「運とは自分で運んでくるもの」とよく言いますが、
結局、自分の意識と努力で変えることが出来るものなのです。
ではどうすれば、自分で「運」を運んで来ることが出来るのか。
○ 先ず、なんといっても、「自分は運が良い」と思い込むことです。
「自分は運がいい」と何度も自己暗示をかけていると本当にそう思うようになってきます。
私は人と対話している時に、
「お陰様で僕は本当に運がいいんです。やりたいと思った事は、他人様が助けてくれたりして、
自然に実現出来てしまうので、本当に有難いことです。」とよく言っています。
言動は明るく、前向きに努力しよう・・・といつも自分に言い聞かせています。
○ 次に「運の良い人と付き合う」ことです。人には「運のある人、運のない人」がいます。
また、「氣を発している人、氣を発していない人」がいます。
自分に運を運びたかったら、「運氣」を発している人と付き合うよう、努力することです。
氣は与えることも、受け取ることも出来るものです。
誰とでも交換できる、自然とも交換し合うこともできる。元氣を頂いたら、次は自分が相手に元氣をお返しする。自分が辛い時、自然から氣をもらって回復したら、その感謝を ちゃんとお返しする。
いただいて、お返しして、「氣」はあらゆるものの間で永遠に循環し続けているのです。
氣は循環すればするほど大きくなり、その輪はどんどん広がっていく。
氣は決してなくなりません。交換すればするほど、出せば出すほど湧いてきます。
「運氣」を持っている人と付き合いましょう。
○ そしてやはり、自分の能力を磨く努力をすることです。
「運という(生き物)」は、努力していない人の前は知らない間に通り過ぎてしまいます。
人間は誰にでも一生のうち、小さい波の運が何度もあり、
そのうち「ドン!」という大きな運は何度か訪れる ・・・ といいます。
それをつかまえることが出来るか、どうかの差は、
・ そもそも、そこに運が来ているのに気付かないか
・ 気が付いているのに、手につかもうとしないか
・ 気が付いて、そのチャンスをものにしようとするか の違いです。
いくら待っていても、ダラダラ待っているだけでは、幸せも運もやって来ません。
自分が努力して運んでこそ、運よく成果を得られるのです。
何度でもあきらめず、辛抱を乗り越えて、感謝の気持ちを忘れず、
自分はツイていると思い込んでこそ、天から運を授かり、幸運がもたらされる・・・と、
私は信じて今日まで生きてきました。
児玉圭司名誉総監督
昭和35年~45年
明治大学体育会卓球部監督
昭和45年~令和2年
明治大学体育会卓球部総監督
令和3年~現在
明治大学体育会卓球部名誉総監督
(株)スヴェンソン 代表取締役会長
日本学生卓球連盟 名誉会長
明治大学駿台体育会 名誉会長
- 昭和31年
- 世界選手権シングルスベスト16
- 昭和40年
- 第28回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和48年
- 第32回世界卓球選手権 日本代表監督
- 昭和50年
- 第33回世界卓球選手権 日本代表総監督兼監督